taiga533's log

微妙な技術的要素と、人生のログを垂れ流すブログ

刺々しさにどう対処すべきか

刺々しい言葉や人が苦手だ。そういう言葉を発する人は、その瞬間だけ物理的に全身が刺々しくなればちょっと笑えていいのかもしれない。

また、きっと自分も刺々しい側面持っているはずだ。たまに会社の後輩に厳しい言葉を言ってしまうこともあって、そういう瞬間を後々振り返ると自己嫌悪の感情が湧き上がる。

人の刺々しさに悩みながらも、自分の刺々しさにも苦しんでいる人というは自分以外にもいると思う。というわけで、今回は外部と内部それぞれの刺々しさへどう対処すればいいか書いてみる。

外部から向けられる刺々しさへの対処

いきなりだが、自分は刺々しさを向けられたときブチギレる。「張り倒すぞ~~~~この野郎~~~~~!^^」とナチュラルに思ってしまう。図星を突かれた場合と単純に人を傷つける言葉だった場合両方でそう思うのだ。

ハンロンの剃刀と反応しない練習

図星でもそうじゃなかったとしても、人の言葉をいちいち攻撃的に捉えても何もいいことが無い。というわけで最初にアドバイスされたのはハンロンの剃刀と反応しない練習だ。

ハンロンの剃刀は

無能で十分説明されることに悪意を見出すな

という考え方で刺々しい言葉を言われたときに、「相手の幼さや弱さからそういった言葉が出てしまったんだな」と認識するという活用をする。

反応しない練習は仏教の教えからストレスへの対処を学ぶ書籍だ。「あ、自分イラついてるな」と認識することで、ストレスを落ち着かせるみたいなストレス対処法が書かれている。

これはどれも役に立ったものの、主観的に度を越した刺々しさへの対処としては少し弱い手法でもあった。想像してほしい、最愛の人が北斗の拳に出てくる雑魚に生きたまま肉を削がれているなかで「ああ、こいつは無能だから悪意を持って肉を削いでるわけじゃないんだな」とか「今自分は最愛の人が肉を削がれていることに反応してるんだな」とか思えるだろうか。つまりこれらの手法は適用できる刺々しさの限度がある。

思考をアウトプットしよう

前述した2つの手法を単純に使うだけでは自分のダメージを軽減しきれなかった。この手法以外に何か解決策は無いものか・・・と考えていたが、ある時この2つの手法において自分は重要なことを思い出した。それは 「自分の感想を表現してはいけない」なんて書いていないのだ。 つまり嫌なことをされたら「嫌です。」と言えば良い。こんな当たり前のことはきっと幼稚園生のころ学んでいるはずだが、いつだか大人になって忘れてしまったのだ。

そして「嫌です。」と言ったあとも刺々しさを人が向けてくるのなら、それは張り倒すか逃げるかしていいと思う。

結局のところ、知的な人類はコミュニケーションを取って刺々しさからの脱出を試みるべきだが、それでも刺々しさから脱却できない場合原始的な手段に頼るしかないと思う。

自分が外に向けてしまう刺々しさへの対処

外に刺々しさを向けてしまう場合どうすればいいのだろうか。自分をコントロールするのは難しい。だからこそ自分は自分の刺々しさの数倍は優しさを提供し、なるべく相手を否定しないようにしているつもりだ。できていると願いたい。

刺々しさの数倍は優しさを提供する

刺々しさは無意識的に出てしまうことがある。これは刺々しさを出さないように本人が気をつけたとしても、相手が刺々しさを感じてしまう場合があるのでどうしても起こり得る。

なので、相手を立てたり小さなことでも感謝を伝えるようにすると良い。それで許してくれるかどうかは知らないが、少なくとも「全部嫌な奴」と思われるよりかはマシだと思う。つまり嬉しさを感じる量 > 刺々しさを感じる量という図式が成り立つ相手にとってのプラスの存在を目指して行くのが良いだろう。

なるべく相手を否定しない

人とコミュニケーションを取るとき、なるべく否定的に取れるワードを使わないようにするだけでだいぶ刺々しさは和らぐ。

特にやってしまいがちなのが、後輩や部下が失敗をしてしまったときに失敗だけ伝えて相互のコミュニケーションを取ろうとしないことだ。「否定じゃないだろ」と思うかもしれないが、相手は失敗を通して自分が否定されたと思ってしまう可能性が高い。それに、 相手を否定したい感情と相手の行動や状態を正したい(失敗を指摘する)感情は似ていると思う。

相手を正すには失敗を指摘したうえでしっかり振り返りを行うのが良いと思う。

  1. 「なぜこういった問題が起こったのか」「なぜ自分があなたの〇〇を課題だと思っているのか」を掘り下げる
  2. 相手の行動や思考を聞く
  3. 解決策につなげる

といったことができると、「失敗を指摘するだけの嫌な奴」から「自分をレベルアップさせてくれる良い奴」と見てもらえる可能性がある。

法務の場で被疑者に意見を述べる機会があるように、どれだけ自分から見て無能で許せないやつだったとしても、相手の意見を聞かずに失敗を指摘したり、否定をしたりしてはいけないと思う。

おわりに

心理的安全性という言葉で「刺々しく聞こえるけど実際はそうじゃないよ!」みたいな雰囲気を作ろうとするのはおそらく間違えている。言葉は相手がどういう感想を持つかが全てであり、それをコントロールしきることは不可能だ。なので発信する側も最低限刺々しさを減らす努力をしていく必要がある。